夏の陰
ぼくは小学三年生の時に、親の都合で転校した。
七月ともなれば、皆新しいクラスにもなじみ、仲の良い友達グループが確立されている。そんな中途半端な時期に転校することになってしまった不運というべきか、ぼくは学校での居場所探しに手こずっていた。
勉強もスポーツもあまりできない。本を読むのは好きだったけれど、同じ世代の子たちとは話が合わなかった。あの手この手でどこかのグループに入れて貰おうと頑張ってはみたものの、結果的にぼくはクラスで孤立することになった。せめて夏休みのあと、二学期が始まる頃に転校することが出来たならこんなことにならなかったんじゃないかなんてどうにもならないことを考えては、茹だるような夏の気配を前に溜息をついた。
じめじめした梅雨を越えたばかりでフラストレーションの溜まりきった皆にとって、孤立していたぼくは恰好の的だった。
まだ、靴や教科書を隠される程度だったその頃に、ふと寄り道した先にあった廃ビルの外階段で初めてその人に出会った。
ビルの影に隠れたそこで、鎖骨の下くらいまでのびた黒髪を適当にハーフアップにした若い男の人が、金属製の柵に寄りかかりながら煙草を吸っていた。
暑い日だった。太陽に照りつけられてへろへろになっていたぼくは陰を求めていた。
シロと名乗ったその人は、ぼくを「ぼん」と呼んだ。
「不景気な顔だな、坊」
煙草を持った手で口元を覆いながら目元で笑って、シロは僕に居場所をくれた。
「シロさ、いつもここにいるけど、仕事してるの?」
学校帰りに廃ビルに寄るようになって二週間。もうすぐ夏休みだという話題になったので、気になっていたことを切り出した。
「してるよ~、してるから煙草も吸えてるんだ」
「コウムイン?」
「公務員だったらここにはいないなぁ」
「どんな仕事してるの?」
そうだねぇ・・・・・・と煙を眺めながら少し黙ったシロから、ゆったりとした声が返ってくる。
「季節を売るお手伝いとか」
婉曲的な言い方に困って、「お花屋さん?」と聞いた当時のぼくに、「そんな感じ」とシロは乾いた声で笑った。
「いろんなことやってるよ。お薬屋さんとか、夜のお引っ越し屋さんとか」
「へぇー、楽しそうだね」
「んー・・・・・・刺激には事欠かないかな」
「え?」
「ああ、ごめん。坊には聞きなじみない言い回しだったか」
そうやって煙をくゆらせながら、へらりとしているシロにむっとする。子ども扱いされるのはあんまり好きではなかった。
「あ、怒った?」
「・・・・・・おこってない」
「嘘だぁ。むくれてるじゃん」
頬を指されて一層むっとしたぼくをみて、シロが楽しそうに笑う。
「まぁでもねぇ、最近は色々と大変なんだ」
「お金ないの?」
「お恥ずかしながら」
「やめたら?煙草」
「昨日か一昨日も言われたよ、それ」
ぼくの知らない誰かを思い出しながら、シロは短くなった煙草の先を灰皿に擦り込んだ。流れるように箱を出しているところからして、煙草を止める気はないらしい。だったら。
ぼくは少しでもシロと対等な関係になりたかったから、煙草を買ってプレゼントするより、仕事を頼むほうがいいだろうと結論づけた。
「ねぇ、シロ」
ぼくにも何か売ってよ。
そう言うと、シロは口を閉じて、少し迷うようなそぶりを見せた後、新しい煙草に火をつけて笑った。
「坊に売るものはないなぁ」
「なんで?」
「なんでも」
ふ、とシロの口から白い煙と嗅ぎ慣れた甘い匂いが漂う。
「気持ちだけ貰っとくよ。ありがとな、坊。気ぃ遣ってくれて」
坊は賢くていい子だな。
お金に困っているのに、仕事を請けようとせず曖昧に笑うだけだったシロのことが、当時はよくわからなかった。
ぼん、ぼん、とからかうように呼ばれているのもあって、こどもだから頼って貰えていないのだと勝手に腹を立てたぼくはしつこく食い下がった。
「なんで、友達じゃん」
楽しそうに笑っていたシロの表情が翳る。
ぼくとシロの間を、びゅう、と、ひとつ、強い風が吹きぬける。
「友達だからだよ」
ざらりと靡いた長い髪と煙の向こう。
見知らぬ男が、しん、と、虚ろな目でこちらを見ていた。