夜警
どうしても眠れない真夜中、散歩に出る。自棄になりそうな自分を見張るために。夜気で肺を満たして、心の底から自由を感じているように錯覚させる。好きなときに眠っていい。眠れないことに怒る人は離れたところにいるから大丈夫、無理に眠らなくていいんだと。
頭の端でいつも勝手に鳴るノイズを掻き消すために、イヤホンからお気に入りの曲を流す。すれ違う人なんていないから、音漏れを気にしなくていいのが楽だ。
曲を選んでいる最中、昼間に洗剤が「私を飲めば終われるよ」と話しかけてきたのを思い出した。もちろん幻聴だ。洗剤が喋るわけがない。無視して洗濯機に入れれば「勿体ない。また終わりを逃した」と言って消えていったんだっけ。幻聴だとわかっているはずなのに、やけに鮮烈に覚えている。おかしな話だ。その洗剤に綺麗にして貰った服を着て、あてもなく歩こうとしている。彼岸を臨みながら、川に足を浸ける手前で踏みとどまって。
鏡を見れば、向こうの自分にお前の悩みは贅沢だと言われる。お前は全然不幸なんかじゃない。むしろ恵まれている。それに気づけていないから不幸なだけだ。その通り。よくわかってる。わかったふりだけは上手くなって、根本的な問題からはずっと目を逸らしてきた。向き合う度胸も覚悟もなかった。
私が私の価値観の中で幸せになることは、いつだって望まれていなかったから、どうせきっとまた裏切られるのだろうと、いつの間にか幸せは絶望と一緒にやってくるようになった。嫉妬の対象になるくらいなら幸せではない方がいくらかましのような気がした。
信じていたものがまやかしだとわかった瞬間の心が襤褸切れのようになるあの感覚は、何度経験しても慣れない。期待する方が馬鹿なのだと言われればそれまでだ。甘えと言われてしまえば仕方がない。騙す方と騙される方、ひどいのはどちらかと聞かれれば迷いもなく前者だと答えるけれど、馬鹿はきっと後者なのだろう。馬鹿でいい。馬鹿でいいから、ずっと一縷の煌めきに縋っては、不確かな希望にとらわれ続けていたい。
幸せが怖いと、そんなことばかり考えては、このところ毎日涙が出る。頬が濡れたところで何にもならないのに。非生産的な行動だとわかっていながらやめられない。最早立派な依存症だ。特効薬なんてもちろんないから、こうやって有耶無耶にすることくらいしか出来ない。
私以外誰もいないところに、踏切が下りて貨物列車が通る。このときばかりは、交互に点滅する赤と規則的な音が私の命を守るためだけに存在するように勘違いしてしまいそうになる。なんて傲慢な生き物だろう。踏切は踏切として正常に作動しているだけなのに。
貨物の重みで線路が軋むのを見て、あれに轢かれるのは想像を絶するほど痛いのだろうなと思う。夜気を切り裂くように、貨物列車が風を連れてくる。この風に溶けて消えられたらいいのにと、楽な方楽な方へと進みたがる頭を笑う。
風が過ぎ去って、踏切が上がる。
今日も夜を纏って、夢のような現実のような、あわいの世界で息をしている。