十二時二〇分、快晴。
カウンターの前に座ってシャッターを上げる。
“お待たせいたしました。只今より、午後の業務を開始いたします”
アナウンスが終わったことをモニターで確認し、ドアのロックを解除する。
“受付番号133番の方、番号札と必要書類をお持ちの上、27番入区管理室へどうぞ”
開いたドアの向こうにはギターケースを背負った青年が立っていた。
「うわ・・・・・・!」
入るなり、青年はカウンターの逆側に広がる景色に目を奪われていた。真っ白な壁、床、天井。カウンターの向かい側一面だけがガラス張りになっていて、十畳ほどの無機質な部屋に陽の光と東京湾の色彩をもたらしている。
“いらっしゃいませ”
合成音声が青年を呼ぶ。はっとこちらを向いた青年に、椅子に座るよう促す。
「書類の提示をお願いします」
青年から書類の入ったファイルを受け取り、確認作業に入った。
2×××年。
医療技術の進展により、生命活動を続けたいという意思さえあれば半永久的に生きられるようになった。“生きられること”が当たり前になった世の中では、死、というものの価値観が大きく揺らいでいた。
痛覚を一時的に遮断する薬が薬局で販売されるようになったのも、もう何年も前のことだ。痛みも感じなければ著しく損壊した肉体も医療によって簡単に再生する。人間は殊更、物理的な暴力というものに強くなった。
しかしその反面、人間としての尊厳や個人の価値観といった精神的な面に対しての思考は脆くなり、自殺率は下落どころか年々上昇の一途を辿っていた。医学、工学、化学・・・・・・なおも破竹の勢いで進展を続ける自然科学に対し、そちらに偏重するあまり蔑ろにされてきた人文科学的思考は歪んだ形で日の目を見ることになる。
“人間的な生”、“人間的な死”の名の下で、生きることが楽になった世界が次に欲したのは、楽に死ぬ方法、“安楽死が赦される場所”だった。
「本日はどういった目的でこちらへ?」
青年は背中から下ろしたギターケースを抱えながらカウンターに頬杖をついて笑った。
「観光です」
“観光!”
おしゃべりな合成音声が嬉々として青年に話しかける。
“ご迷惑じゃなければ、詳しくお聞きしても?!”
「ニコ。やめなさい」
「いいんですよ。ニコちゃんっていうんですか? かわいいAIさんだ」
青年は変わらずつかみ所がない笑みを浮かべている。
“はい! 正式名称はNICOTIANAと申します! 元々は安楽死マッチングサービスというものの受付を担当していたのですが、制作会社が派手に倒産しまして! 性能はいいのですが何せ縁起が悪いと行き場をなくして廃棄されかけていたのを拾っていただいたんです! ニコという名前もその時にいただきました!”
「すみませんね。おしゃべりなもので」
「いえいえ全然。むしろ明るくなれていいです」
青年は頬杖をついたまま、肩越しに東京湾を眺めた。
「噂に聞いてはいましたけど、本当に綺麗ですね。深安良区。天国みたいだ」
深安良区。東京都に新たに加わった、東京湾アクアラインの南側にある小さな人工島のみで構成される地区だ。
しんあらく。勘のいい人はお気づきだろう。
「ここはそういう場所なので」
「ははは、たしかに」
数年前、人間的な死生観について考えるという気運の高まりにより、安楽死の合法化運動が活発になった。結果、科学技術を最大限に活かした未来都市として使うはずだった人工島を転用して深安良区を設置することになった。住んでいるのは国家公務員と医療従事者のみであり、この区を訪れることは永遠の死を意味している。怖いもの見たさ故の見学や日帰りツアーなども組まれてはいるが、いずれにしろ、深安良区に入るには心身の健康診断書の申請をはじめとして膨大な手続きを経なければならない。
深安良区を目指す人々にとって、入区管理局員との手続きはひとつの山場だ。
観光の内容についてですよね、と青年が詳細を話し始める。青年の声に合わせて、職員にしか見られない数多のモニターに様々な波形が表示される。
「もう何年も前になるのですが、深安良区にお世話になった親族が居まして。最近、音楽でなんとか生活に困らないくらいには身を立てられたので、一曲、聴かせてあげたくて」
ギターケースを少し持ち上げながら満面の笑みで笑う青年に対して、ビ、と複数のモニターが赤く点滅する。
「本当の目的をお聞かせ願えますでしょうか」
調子よく騙っていた青年の動きが止まる。
青年は困ったように笑った。
「・・・・・・やっぱりバレちゃうんですね、嘘。今まではバレなかったんですけど」
「今までの手続きを通過してこれたのだからかなりの腕前ですよ」
「いえ、それほどでも。優秀ですね。ニコちゃん」
“お褒めいただき光栄です!:)”
ニコが受付側の壁に取り付けられた大きなモニターで笑う。
「質問をしに来たんです。入区管理局員の方に」
「採用条件などについては内閣府のHPをご覧ください」
「ははは。ニコちゃんより機械みたいですね」
“ね~! もうほんと無愛想で無愛想で”
大型モニターの電源を落とす。“キャー!”という声を無視して続けた。
「虚偽の如何はさておき、ここに辿り着くまで膨大な手続きをなさってきたということから、熱意は充分にうかがえます。書類の不備もありませんし、私にお答えできることであればお答えしますよ」
「本当ですか! いや~よかった。ここまで頑張ってきた甲斐がありますよ」
青年の表情がぱっと明るくなる。
「実は、一緒に深安良区へ向かいたいひとがいまして」
“心中ですか?”
「こら」
「ははは、全くその通りです」
モニターをさらりと確認する。嘘はついていないようだった。
「お相手も一緒にいらしてくだされば、お二人での入区も可能ですよ」
そう言うと、青年の心臓が不安げな波を作った。
「・・・・・・その場合、その人も今回の僕と同じ手続きを踏まなければいけませんよね」
「それは、まぁ、そういう決まりですので」
小さく息を吐いて、青年が俯く。
「そうですよね」
“書類を揃えられそうにない、ということでしょうか?”
ニコの言葉に頷いた青年は、その相手は幼い頃に遭った事故の影響で精神的に声が出せないことに加えて重度の精神疾患があり、安楽死を健全かつ純然たる自分の意思で望んでいるのかどうかの証明が下りないかもしれない、と話した。
“しかし、書類を揃えられそうにないとなると、私達としても・・・・・・”
いいんです、と青年は笑ったあと呟いた。
「やっぱり、俺を助けてくれるのは、俺しかいない」
お世話になりました、と青年は爽やかに笑って、ギターケースを背負って出ていった。