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着替えを終え、足早に楽屋を出る。衣装を入れた鞄が重い。
当日券もあわせて、自分の分のチケットはぎりぎりのところで何とか捌けたが、チップは紙幣二枚だけ。世間的に考えれば少し豪勢な夕食代くらいだけれど、無いよりはましどころか、もらえるだけありがたい。
稼ぎたくないと言えば嘘になる。踊ることが仕事になって、生活の心配なく踊ることに集中できたなら、より良いパフォーマンスができるのではないかと思ってみたりもする。無い物ねだりは無駄なだけだと気づいていても、どうしても心が陰ってしまう。この小さな劇場で終わるのだろうと思うと、羽を少しずつ毟り取られているような心地だった。
チップをもらえるようになっただけ、贔屓にしてくれている客も少しずつ増えてきているのかもしれない。そう考えることで、重みが増していく足取りから目をそらした。
劇場から外に出たところで、あっ、と気づいたように、少年のものと形容するにしては妙に落ち着いていて深みのある声が背中に当たる。
「お兄さん、お兄さん!」
振り向いてみれば、長い黒髪を耳の横でひとつに束ねた青年がにこやかに佇んでいた。
「お兄さんの演目凄かった!世界が変わった気がしたよ!この気持ちをどうにか形にしたかったんだけれど、生憎今日は持ち合わせがなくって。二枚しか入れられなかった。ごめんね」
ああ、どうも、なんてもごもごと返す。
「お兄さん壊滅的に愛想がないね!」
青年は自分より明らかに若く、初対面だというのにあけすけにものを言う。しかしその態度に少しも違和感を抱かないのが不思議だった。
「でもそれも持ち味だし、きっと磨けば武器になるよ」
無愛想を磨くとはどういうことだろうととりあえず黙っていたら、青年は気づいたように話し始めた。
「実は僕もダンサーでさ。ちょっと前に、足をね、折っちゃって。今は復帰のために休養中なんだ。リハビリがてら散歩してたらここに着いて、当日券があるって言うからお邪魔したんだ。まさかお兄さんみたいな人に出会えるなんて思ってもなかったから嬉しくなっちゃって。心が躍るってこういうことなんだね!」
年の頃は十七、八くらいだろうか。端正な顔立ちとすらりとした立ち姿から大人びた雰囲気を纏っているが、口を開けば無邪気な少年のようだった。
「大丈夫大丈夫!お兄さんは絶対に売れる。僕が認めたんだから間違いない」
審美眼には自信があるんだ、と胸を張る。どこからそんな自信が沸いているのだろうと考えていたら、顔に出てしまっていたらしい。
「信じてないね」
むっとした面持ちで言われたが、正直信じられるわけがない。
青年は打って変わって、じゃあここだけの話を教えてあげる、と悪戯っぽく笑う。
「僕ね、この劇団にお世話になってるんだ」
隠すように差し出された少し古いデザインの名刺には、公演が発表されると新聞や雑誌に必ず大々的に取り上げられる劇団の名前が書かれており、思わず目を見開いた。
「会いに来てよ。勿論、ダンサーとしてね。あ、座長に口利きとかはしないから安心してね。そんなことしないでもお兄さんは認められるよ。それにお兄さん、口利きとか賄賂とかそういうの嫌いでしょ? まぁ、そんなことしなくても、お兄さんはすぐに来てくれるって信じてるからね。ちゃんと待ってる。約束する。だからお願い。お兄さんみたいな人が小さな箱に押し込められてるのは勿体ない。もっと大きな舞台で煌めいてよ」
形の良い唇が華美ともとれる言葉をさらさらと並べ立てる。トントン拍子に大きな舞台に立てるようなら苦労はしないと思いながらも、気を抜けば魅了されてしまいそうだった。いや、正確には、既に魅了されてしまっていた。普通という概念でがんじがらめになった思考の端で、夢を見ていて良いと、初めて許された気がして。
名刺を受け取ると、彼は満足そうに笑った。
「それにね、この劇団が持ってる劇場、近くにアイスクリーム屋さんがあるんだ。美味しいって評判なんだよ」
何味が好き?と聞かれたので、特にこだわりは無かったが、チョコレートと答えた。
「そっか!僕と同じだ!」
彼は太陽のように笑ったあと、じゃあね、と手を振って去って行った。