それからというもの、青年は時折劇場に現れた。来る度に前回の公演についてのありったけの感想をわざわざ文章にしてぶつけてくる。いらないと言っているのに「少しでごめんねぇ」と言いながら青年の歳にしては多すぎる額のチップもねじ込んできた。何でこんなことをするんだと問い詰めても、軽やかに笑って去って行く。青年の御陰で少しずつ余裕が出てきたのは確かだったが、相も変わらず小さな劇場で踊るばかり___のはずだった。
何が起きたのかわからなかった。
目に見えて贔屓にしてくれる客が増えた。それどころか、一年もしないうちに、気づけば彼がいるのかどうかすら分からないほどの大きさの劇場の舞台に立っていた。これまでの苦悩は何だったのかと思うほどあっさり進んでいく日々に目眩さえ覚えた。青年が寄越した最新の手紙には「僕は気づいてたよ、ずっと前から」なんてこっ恥ずかしい文言と一緒に彼の名刺に書かれていた劇団のオーディションがあるというビラが同封されていた。
神が本当に存在するのなら、きっとあの青年はその使いだった。自分の力ではびくともしなかった扉を理不尽なまでの力でこじ開けて、さあ通れと言われているようで、急に開けた視界が残酷にすら思えた。
一次、二次と何とかクリアし、座長による最終面接に赴いた。
どこでこのオーディションを知ったのかという質問に、彼から送られてきたビラと名刺を見せた。
頷くかと思われた座長の表情が一瞬強張ったのをみて、血の気が下がる。
「何でこれを持ってる」
答えられずにいると、「いや、君が悪いとか、そういうわけではなくて」と続けられる。聞けば、このビラはダンサーの養成学校のみで配布したもののようだった。
「おかしいとは思っていた。あいつが絡んでいたか。・・・・・・ああ、そうか、あの時」
少しの間独り言を呟いたあと、短く息を吐いた。
「あいつはうちの踊り子だった」
「・・・・・・"だった"?」
復帰のためにリハビリをしているんじゃないんですか、と聞けば、座長は訝しげにこちらを見た。
「いつの話をしてる」
「え?」
「怪我なんてとうに完治している」
訳が分からなくなって、心臓が早鐘を打ち始める。
「じゃあ、どうして・・・・・・」
座長は溜息をついて話し始めた。
「あいつは才能に恵まれていた。すぐに贔屓の客がついたし、あの世代の中なら間違いなく一番だった」
だがそれを面白く思わない者もいた。
「誰かによる事件だったのか、ただの事故だったのかはわからない。あいつは階段から落ちて大怪我をした。日常生活に問題は無い程度まではなんとか回復したが、踊りの方は以前のあいつと比べれば酷い出来だった。当然客は離れていく。それを誰より理解していたからこそ無理をしてはそのたびに酷くなって、ついに目も当てられなくなった」
どうなったかはわかるだろう、という座長の声は重く沈んでいた。
「理由が理由だ。死にきれなかったんだろう。どうしてもここに残りたいと言うから、売店を任せることにした。それが三年前だ」
「・・・・・・売店って、あの___」
あの日の笑顔がフラッシュバックする。
「___アイスクリームが、おいしいって」
「ああ、よく知ってるな」
劇場を飛び出した。座長の呼び止める声を置き去りにして駆ける。嫌な予感と変な確信がない交ぜになって、おかしくなってしまいそうだった。
公演を観に来ている客でごった返したエントランスを抜けて広場に出る。着いたばかりの客がこちらを見ながら遠巻きに話しているのが聞こえる。
カラフルな小型のキッチンカー。
カウンターに頬杖をついている人物と向き合った。
肩で息をしながら、出すべき言葉を必死で探した。探しても探しても、口から出る前にぼろぼろ崩れてしまってどうにもならない。見かねてか、目の前の相手が口を開いた。
「いらっしゃい、お兄さん」
落ち着いた声がさらさらと鼓膜を叩く。
「今日のおすすめはチョコレートだよ」
青年はあの日と同じように、悪戯っぽく笑った。